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「旅さがし」
 GCトラベルでは「旅探し」をテーマに旅行コンサルタントの海山栄先生に旅を楽しく、意義あるものにするために、いろいろお話を聞く欄を設けました。 皆様からの質問もお待ちしています。 (お名前・年齢・お住まいの地域もメールでお知らせください)

 

海山先生(30) ヴィクトリア女王と3人の男性

―ヴィクトリア女王の時代、即ち1837年から1901年はどんな時代ですか?

海山栄:イギリスが大英帝国として最も栄えた時代です。1840年には中国との間にアヘン戦争が起きます。日本がこの状況を見て明治維新を行いました。

―ヴィクトリア女王の時代は日本の明治維新のように世界に影響を与えたのですね。

海山:そうです。彼女は1840年サックス・コーバーク・ゴウサ公爵の息子アルバートでこの結婚は女王にとって1番幸せの時期でした。1837年彼女が王座に就いたときはまだ18歳の乙女でした。女王は政治上のことも考えなければなりませんでした。彼女が頼りにしたのは首相のメルバーン子爵でした。彼は1779年メルバーン子爵家に生れ、イートンからケンブリッジ大学に進み、弁護士になった後、政治家となり、ホイッグ党政権のグレイ伯爵内閣で入閣しました。1834年グレイが辞任すると組閣の大命下りました。そしてヴィクトリア女王が即位すると総選挙が行われ、ホイッグ党は過半数を占め政権を維持できました。彼は首相としては特に優れてはいませんでしたが女王には気に入られました。彼は半白の髪、黒い太い眉、大きな目を持った典型的な老紳士で洗練された立ち居振舞い、優雅な言葉で女王を魅了しました。ウインザー城に私室を与えられ子爵は一日ほとんどを宮廷で過ごし、女王にアドヴァイスをして君臣の間を超え、まるで父娘のようでした。

―メルバーン子爵を頼りにした時期から結婚の1番幸せな時期に移るわけですがこの期間は長く続きますか?

海山:1861年アルバートがチフスで亡くなるまで続きます。アルバート公が1番力を入れたのは1851年の世界最初の万博でした。600万人以上の入場者を集め、イギリス人生活様式が世界のモデルとなりました。また二人の間には4人の王子と5人の王女が生れ、イギリスの家庭のモデルとなり王室の人気も上がりました。

―未亡人の時期は1901年まで40年も続きますが?

海山:突如として未亡人となります。そのため政治もおろそ かになり、王制を排して共和政にせよという意見も出ますがイギリスの議会民主制を最高にしたといわれるディズレーリとグラッドストンの内の一人ディズレーリが女王を支えたのでした。1868年ディズレーリが首相となった時から心の支えになる言葉を与えたのです。彼はイタリア出身のユダヤ人でしたが作家から政治家に転じた。イギリスはドイツのナチスと異なりユダヤ人が活躍できる国でした。

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アイルランド(12)

―来年の世界エスペラント大会は北アイルランドベルファストですね。

海山:そうです。ベルファストは美しい街です。ゲール語でラーガン川の砂洲の渡場の意味です。シティホールから北に延びるドネゴール・プレイスを核とした一帯は様々な商品が売られ活気にあふれています。北アイルランドケルト紀行の著者、武部好伸氏によればアイルランドの首都ダブリンは地方都市を大きくしたようであるがベルファストははるかに洗練されているといいます。シャンキル地区はユニオニストでプロテスタントの労働者の街です。より強いイギリスの支持派はロイヤリストと呼ばれています。この地区に隣接しているのがベルファスト最大のカトリックでナショナリストの労働者の街のフォ―ルズです。

―ベルファストはどのように生まれたのですか?

海山栄:アルスター地方を支配したノルマン貴族のジョン・ド・コーシーが1177年にラーガンの川岸に城を築いたのがベルファストの始まりと言われています。名誉革命で有名なウィリアム3世はオランダの総督でしたが妻メアリーがチャールズ2世の弟ジェームスの娘メアリーと結婚していて、メアリーと共に国王としてイギリスの共同統治者になりました。彼はオランダで長年にわたってフランスのオランダ併合の野心のあるルイ14世と戦ってきました。彼はプロテスタンでした。そのためべルファストにやってきたプロテスタントのユグノーを手厚く保護しこの地にリネン産業が盛んになりました。

―アイルランドはイングランドの地主が支配し、農業以外の産業は盛んになりませんせしたがベルファストは例外ですね。

海山:そうです。18世紀、19世紀には繊維業、造船業の発展で大変な繁栄を築きました。アイルランドで産業革命の恩恵を受けた唯一の都市です。航空機メーカーもあります。

 初航海で氷山と衝突して沈没して大悲劇のを引き起こしたのが映画にもなったタイタニック号です。この豪華客船は1833年に創業されたベルファストにある造船所ハーランド・アンド・ウルフ造船所で作られました。この造船所は一時は世界最大でタイタニック号が建造された1911年には6万にもの従業員がいました。ベルファストは1800年に人口はわずか2万人でしたが1850年には10万人を突破、第1次世界大戦前には40万人を突破しました。現在は日本そして韓国や中国が造船の中心となり巨大なクレーンのあるハーランド・アンド・ウルフ造船所はそれを持て余しています

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※ヨーロッパを旅する  アジアの文化はずっとヨーロッパの文化より進んでいました。しかしヨーロッパ人が世界に進出を始めて大きな画期をなしたのがコロンブスです。イギリスから始まったヨーロッパの産業革命は世界の中心がヨーロッパであるというイメージを人々に与えました。日本はヨーロッパの植民地にならないためヨーロッパの文明を学ぶことを決心したのが明治維新です。  明治維新から150年、この近代の日本と現在の世界を理解するためにはヨーロッパを旅することが望ましいのです。その中で現在ドイツの前身であるプロイセン、日英同盟のイギリス、エッフェル塔のフランスの3カ国からは大きな影響を受けました。  GCトラベルのホーム頁にモデルプランを掲載しております。参考にされ、お問合わせをお待ちしております。
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