GC Travel
  猫のマ—クのGCTravel
GCトラベルでは「旅探し」をテーマに
旅行コンサルタントの海山栄先生に旅を楽しく、意義あるものにするために、
いろいろお話を聞く欄を設けました。 皆様からの質問もお待ちしています。
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海山先生(23)語れる旅の枠組み

―海山先生は語れる旅こそ旅のだいご味と言われますが?

海山栄:人間は一人では生きられず色々な人との関連で生きています。その中で価値ある生き方が求められます。旅は日常を離れ、違った環境に身を置くため、新鮮な感覚が得られます。これを語る、語るための言葉を考えてみる。そうすると、ただ単に旅をするより、旅の体験が実になります。

―しかしうまく語れませんが?

海山:それでは海山流の語れる旅の枠組みについてお話しましょう。前もって①.語る事柄、テーマ決めておくのが望ましいのですがそれができなければ旅先で決めます。②.固有名詞はしっかりと覚えておくかメモします。③時代とか季節など、時に関する情報に留意する。

―もしパリに行ったら場合の具体例をあげてください。

海山:パリに三日いてシテ島とモネの庭に行ったとしましょう。①.語る事柄は、シテ島にある、ノートルダム寺院、モネの庭、エッフェル塔とします。②.会った人など、パリの友達など③.季節は夏✝ノートルダム寺院、8月5日で暑い日にノートルダム寺院をおとずれました。この寺院はゴッシク建築です。

ノートルダムのそばの庭園にはネムの木が赤い花をつけていました。このように話してヴィクトル・ユーゴ―の小説「ノートルダムの背むし男」の話とかセーヌ川にまつわる話、イギリスとの100年戦争の時、フランスを救った若き乙女、ジャンヌ・ダルクの復権裁判がこの寺院で行われたこと、英雄ナポレオンが1804年皇帝になった時の戴冠式がここで行われたなど。最近では2015年のパリ同時多発テロの追悼ミサが行なわれました。これらの事柄のうち一つか二つを話す.

✝モネの庭
パリ郊外にジベルニーという場所にモネの庭があります。この庭を訪れたとすればモネ、ピサロ、ルノワールなどの印象派の画家やゴッホは日本の浮世絵に関心を持ちその影響を受けたこと、モネは「水の庭」を造成し、日本から水連を輸入して根付かせ、日本風の太鼓橋や藤棚を作ったのでこれは日本庭園と呼ばれていることなどを話すとよいでしょう。エフェル塔については上記のように話してください。

海山先生(22) 隔離していたいくつもの文明が一体化する 

―グローバル化、グローバル化と叫ばれますが今のグローバル化の推進者は誰ですか?

海山栄:今はアメリカが中心です。グローバル化を最初に行ったのはアジア人であるモンゴル帝国です。

―南北アメリカはそれには含まれていますか?

海山:含まれていません。その点では1492年のコロンブスのアメリカ大陸への到着が地球一体化の達成に大きく貢献しました。

―コロンブスはグローバル化を意識しましたか?

いいえ。彼はアジアにジパングという国があり、そこには[金]がたくさんあるのでこれを得て富豪になりたい一心で航海に出てアメリカについたのです。結果として南北大陸を含む真の意味でのグローバル化を推し進めることになりました。

―ヨーロッパ文明との接触はアメリカの原住民やアジアの人々に良い結果をもたらしましたか?

彼に資金を出したスペインやその前からアジアに行くことに意欲を燃やしたポルトガルは世界各地に進出しました。スペインはアステカ帝国やインカ帝国を滅ぼしてしまいます。現地住民にとっては大きな厄災でした。そして彼らの後にオランダ、フランス、イギリスが続きますがアジアやアフリカは植民地化されます。

―ヨーロッパ以外の文明はどうなったのですか?

海山:アステカ文明やインカ文明は滅び、中国、インド文明は、日本文明などは隔離されそれぞれが独自の発達をしたのですがヨーロッパ文明との接触によって他の文明を意識しなければならなくなりました。イギリスと中国のアヘン戦争にみられるようにアヘンの輸入の禁止はあの大国清も自ら決定できなくなりました。徳川幕府は成立当初は独自に鎖国を決定しましたが1953年のペリー来航の時はいやいや鎖国を止めなければならなくなりました。ヨーロッパ文明は他の文明の人々の大きな影響を与え、孤立はほぼ不可能となりました。しかし電気、鉄道、映画、新聞、テレビ、自動車、航空機、病気の予防、コンピュータなどはほとんどヨーロッパ文明の貢献を受けています。

ー今はコロナウイルスの影響でヨーロッパに行けませんがヨーロッパは旅行すべき地域ですね。

海山:日本の将来とか世界の人々が今後どう暮らすかを考えるうえで非常に重要な旅行先といえるでしょう。

海山先生(21) アジア人が最初にグローバル化を行った

-人類の歴史で最初のグローバル化を行ったのはモンゴル帝国ですか?

海山栄:そうですね。アジア人が最初にグローバル化を行いました。ユーラシア大陸に広大な帝国を築きました。東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、アフガニスタン、ミャンマー、中国、朝鮮、モンゴル、ロシア、などです。モンゴル帝国を人類の歴史の中でより深くその価値を見なおして見る必要があります。今年は遊牧民と関係の深い梅棹忠夫の生誕100年です。

―梅棹忠夫とはどんな人ですか?

海山:彼は生態学者、民族学者でエスペランチストです。理系から学問を始めましたが歴史や文明に詳しいです。1957年中央公論に「文明の生態史観序説」を発表しました。非常にユニークな見方をしてヨーロッパと日本はユーラシア大陸の東と西の端にある。16世紀までほとんど交流はなくそれぞれの歴史を歩みましたがその発達の結果は非常に似ていると述べています。

―どんな点が似ていますか?

海山:ヨーロッパと日本には封建時代があり、君主のもとにいる諸侯が土地を有してその土地の人民を統治します。君主は土地の保護、すなわち防衛をします。諸侯たちはこの権利を君主から得ますがその代わりに貢納(貢物を収めること)や軍事奉仕が義務づけられています。諸侯に仕えるのが騎士で日本の江戸時代には幕府から禄(収入)を与えられた藩主である大名と藩士である武士が存在しました。

ー梅棹忠夫のユニークさはどこから来たのですか?

海山:驚いたことに彼は太平洋戦争が終わった年に半独立国家の蒙古自治邦の首都、張家口にいました。張家口は現在中国の河北省に編入されていますが彼はここでモンゴルの牧畜の研究をしていました。ソ連軍が攻めてきたのでそこから苦労して貨車に乗り北京を通り、4日後に天津にたどり着き奇跡的に無事に日本についたということです。モンゴル高原は世界最大の大草原ですがそこで活躍した遊牧民やその牧畜の研究と彼の師である今西錦司などの影響から独特な理論が生まれたと思われます。

海山先生(20)
コロナ禍とグローバル化

―旅は情報を得るるためですか?

―6月19日に県境を越える制限が解除されましたがまだ外国には自由にいけません。グローバル化はコロナ禍によって逆戻りするのでしょうか?

海山栄:そうとはいえないと考えますがコロナ後の世界はずいぶん変わると思われます。コロナ禍といえばユーラシア大陸で最初にグローバル化に成功したモンゴル帝国を思い出します。しかしグローバル化は人の往来を盛んにしますから病気も伝染しやすくなります。モンゴル帝国の衰退の一つの原因は中央アジアで発生したペストといわれています。

―東方見聞録を書いたマルコ・ポーロの描いた元や大都(現在の北京の近く)をはじめとするモンゴル帝国のことですね。

海山:そうです。マルコ・ポーロはヴェネチアの商人でモンゴル帝国の第5代皇帝クビライに仕えヴェネチアに帰国して東方見聞録を書いたといわれます。このクビライのとき、モンゴル帝国は東は日本海の沿岸から西はドナウ河の河口、アナトリア、東地中海沿岸まで広大な領土を支配し、当時の世界であるユーラシア大陸のグローバル化をもたらしたといわれます。南北アメリカを含んでいなかったので真のグローバル化はヨーロッパ人が達成します。

―マルコ・ポーロの東方見聞録に刺激された大航海時代が始まったのですね。

海山:そうです。ヴェネツィア共和国の初代元首は497年に選ばれます。1797年にナポレオンに滅ぼされるまで続きます。ローマ帝国は395年に東西に分裂して西ローマ帝国はすぐ滅びますが東ローマ帝国は1000年以上続きます。その東ローマ帝国と貿易を行い繁栄したのがヴェネツィアです。ビザンツからの商品やアジアからのかさばらない絹布や香辛料をヨーロッパ各地に売りさばき大きな利益を得ます。

―これをうらやましく思ったのがポルトガルですね。

海山:そうです。1415年ジョアン1世の命により北西アフリカのセウタを攻略してインドへの第1歩とし、1460年カナリア諸島などを探検してシェラレオネまで進出、1488年ディアスはアフリカ南端の喜望峰まで到達した。そして1498年ヴァスコ・ダ・ガマはヨーロッパ人として初めてインドのカリカットに到着しました。翌年香辛料を手に入れてポルトガルは長年の望みを達成します。

―スペインはコロンブスにより、ポルトガルよりは早くアメリカ大陸に到達しますね。

海山:ポルトガルは早くからインドを目指しましたがライバルのスペインは女王イサベルがコロンブスの売りこみの計画を採用し逆転を目指し、これが成功しました。このようにしてユーラシア大陸を舞台とする陸のグローバル化はヨーロッパ諸国の海のグローバル化へと進みます。今回のコロナ禍もグローバル化の形を変えることになるでしょう。

(次回は7月5日、モンゴルについての予定)

海山(19)
人生は100年時代――「語れる旅」をしよう―ー

―旅は情報を得るるためですか?

海山栄:旅に対してはいろいろな要素があります。広い意味ではそうですが私は補助の道具として本があると思います。これを上手に組み合わせることが旅の意味を高めると考えます。最近、[還暦からの底力―歴史、人、旅から学ぶ」という本を出した出口治明氏はこれ等3要素から学んだ割合は,人から25%,歴史=本から50%,旅から25%といっています。

―出口治明氏とは現在、立命館アジア太平洋大学学長のことですか?

海山:そうです。彼は非常にユニークな経歴を持っています。京都大学法学部出身で最初日本生命に入ってサラリーマン生活をし2008年60才の時にライフネット生命保険会社を創業して会長になり、立命館アジア太平洋大学が学長を公募したので応募して学長になった人です。普通の人の3倍の人生を生きたような人です。

―海山さんも本が5割派ですか?

海山:私は本からの情報を重要視していますがあくまでも本は補助の道具です。楽しみとしての旅、研究のための旅、ビジネスのための旅がありますがここでは長生きをして人生を楽しむという点で語れる旅を話したいです。

―語れる旅には話す相手が必要ですね。

海山:本をたくさん読んでいるがそれをぜんぜん語らない、あるいは語れない人がいます。非常にもったいないと考えます。語れる旅をするためには親族が中心と思われますがよい友達、あるいは何かのサークルなどが望ましいでしょう。ですから豊かな人生は、人・本・旅が融合して一体化しています。

第18パンデミックについて

―コロナウイルスによるパンデミックによって近頃、「人生100年」の次代といわれましたが、それは終わりでもう人間は100歳まで生きられませんか?

海山:私は専門化ではないのではっきり終わりと断定できませんが影響は受けると思います。ある人は剣と槍、鉄砲やダイナマイトよりもペストやスペイン風邪の流行のほうがその影響は大きいといっています。しかし一時的に平均寿命の伸びはなくなるかも知れませんが長期的には、「人生100年」は終わりではないと考えます。

―どうして人間の寿命は伸びたのですか?

海山:第2次世界大戦は1945年に終わりますがそれ以降大国間に戦争はありません。そのお陰で明治以降、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914年の第1次世界大戦、1931年の満州事変、1937年の日中戦争、1941年の第2次世界大戦と戦争の連続から戦争のない時代となりました。平成時代は戦争のない時代でした。これが1番の原因です。

―経済的に戦後豊かになったのもその原因ですね?

海山:そうです。長生きには3つの要素が重要です。第1が栄養ですが、バランスの良い食事が重要です。和食的要素は長生きに良いようです。第2が体を使うこと、すなわち運動ですが散歩が手軽です。第3は社会的要素、人との交流とか新しいことを知ったり、語ることです。我々が意図している「語れる旅」は楽しさと脳をつかうことが共存しています。上記3つの要素と健康に関しては医学の発達と[健康保険」制度です。

第17普通の人でもテーマを持つ

―コロナ危機で旅にいけません。牢獄にいるような状態なので一犯一語として語学をマスターした大杉栄は面白いと思います。語学以外には何をすると良いですか。

海山栄:テーマを持つのは専門家であるコンサルタント、科学者、作家、芸術家などだけと思われますが普通の人、素人でもテーマを持つのをお奨めします。

―どうしてテーマを持つのが良いのですか?

海山:良い旅は楽しいということが重要ですがそのためには記録することが必要です。写真にとるとか書いておかない忘れてしまいます。テーマがあると常にそのテーマで記録しておこうと考えることができます。

―テーマといえば絵画とか音楽などですか?

海山:それももちろん良いですがロマネスクとかバロックに関連する絵画、音楽、建築、文学などをヨーロッパのいろいろな国で調べる、実際に見るなどできます。

―現在のヨーロッパとか第2次世界大戦以前のヨーロッパを知るテーマもありますね。

海山:テーマは多様ですが「鉄道」とか「ユダヤ人とヨーロッパ」、「ヨーロッパに住むイスラム人」などもヨーロッパを知るには興味深いです。

第16回大7回 パンデミック

―パンデミックとは何ですか?

海山栄:パンはすべて、デミックは人々というギリシャ語で、ある特定地域ばかりでなく世界的に流行する感染症を言います。今世界中に流行している新型コロナウイルスはパンデミックです。

―有名なパンデミックには何がありますか?

海山:第1次世界大戦が終わった1918年から始まったスペイン風邪や中世のペスト(黒死病)があります。パンデミックは人の移動が世界的に成ると起きます。

―海外旅行が流行の大きな原因ですね?

海山:クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス』号は乗客・乗員約3700人乗せ、アジアをめぐり、横浜に2月4日に到着しましたがこの関係の死亡者が4月15日現在13名です。この例とか航空機で帰国した人によってもたらされたケースがあります。中世のペストは中国がモンゴル人の帝国、元の時代に交易が盛んになり、ヴェネチアの商人が中国の大都(現在の北京)にいって働いて、インドを経由してイタリアに帰ったりしましたがこのようなことで ヨーロッパ全域に感染症が流行したのでしょう。スペイン風邪は第1次世界大戦の兵士の移動が原因といわれています。

―それでは人の移動は悪ですか?

海山:そうとはいえません。貿易はお互いに利益になります。また新しい考えやノウハウも人の移動によって異質のものの出会いがもたらせるのです。コロンブス以降、アメリカインディアンが作っていた、トマト、ジャガイモ、トウモロコシによってわれわれの食卓がいかに豊かになったかを考えれば人の交流のメリットの大きさが分かります。

―移動ができず牢屋に入ったようなです。これで発展は停滞しますね。

海山:企業は売り上げが伸びず、利益は停滞します。研究機関は移動できないため、調査には支障が出るし、知的進歩も伸びが低下するでしょう。しかし大正時代のアナーキスト、大杉栄は政治犯として逮捕されると一犯一語として語学をマスターしたそうです。こうしてエスペラント語、イタリア語、ドイツ語を習得しました。コロナ危機は一種の牢獄のようなものです。GCトラベルは「旅の言葉」としてエスペラントを薦めています。

―どうしてエスペラント語は「旅の言葉」ですか?

海山:エスペラントはこれだけでヨーロッパ各国の人と話せます。我々は『語れる旅」を一つの目標としています。自然や街や交流を孫に、友達に、ゼミの友人に語るのですがドイツで、イタリアで現地の人と話して得た情報は新鮮でユニークですから牢獄的コロナ危機を活用して語学力をつけるのが『語れる旅」を強力にします。

第15回始まりと終わり

―20世紀の終わりは余り騒がれませんでしたが19世紀の世紀末はいろいろと取り上げられていますね。

海山栄:そうですね。19世紀はヨーロッパの全盛期でした。我々は生まれてそして必ず死にます。始まりがあれば終わりがあるのです。19世紀末のヨーロッパ人はその繁栄に酔いしれていました。しかしこれは永遠に続くと思うと同時に崩れるのではないかと一抹の不安に駆られていました。芸術が輝くとともにデカダンスの部分もありました。

―世紀末はどこの何がキラキラとした光を放ったのですか?

海山:宮下健三氏は「ユーゲントシュティール」(青春の様式)というドイツのミュンヘンの世紀末の芸術運動をとりあげました。フランスの世紀末はミュシャのポスター、ロートレックの絵画、ガレのガラス花器で有名でアール・ヌヴォーといわれています。ウイーンのそれはクリムトやエゴン・シーレの絵画、オットー・ワーグナーの建築などはゼツェシオンとして知られています。ロンドンでは「アーサー王の死」や「サロメ」のシリーズで知られるオーブリー・ビアズリーが世紀末を代表する画家です。

―都市を中心とした芸術運動ですね。

海山:上にあげたようなヨーロッパの都市はどこも人口が急増しています。例えば19世紀の始めのロンドンの人口は110万人だったが世界で初めて万博があった1851年は270万人でしたから世紀末には300万を超えていたでしょう。バイエルンの首都ミュンヘンは1895年には41万人だったが1905年には54万人になりました。

―なぜそのようになったのですか?

海山:18世紀末にイギリス始まった産業革命がヨーロッパの国々に普及していったからです。そのためには交通機関が重要ですがイギリスでは1830年にリヴァプール~マンチェスター間で鉄道が開通し、ドイツではその5年後の1835年にニュールンベルク~ヒュールト間が開通しました。ミュンヘンの場合は1850年です。ベルリンが注目はあびるのは第1次世界大戦後でそれまでミュンヘンは芸術が栄え、この空気の中でトーマス・マンはハンザ都市リュ-ベックからミュンヘンに移り住みました。リューベックで書き始めた「ブッデンブローク家の人々」を1901年ミュンヘンで書き上げました。これがよく売れ、27歳にして作家として出発できました。

―世紀末の都会としてはパリが飛びぬけていますね。

海山:そうです。1887年から建設が始まったエッフェル塔は1889年に完成しました。これはフランス革命100周年を記念して建てられたものです。ワルシャワからのキューリー夫人のようにヨーロッパ各地からパリの文化をしたって多くの文化人が集まりました。

―世紀末の不安が現実となったのが第1次世界大戦ですね。

海山:シュテファン・ツヴァイクの「昨日の世界」はそれをよく表しています。

第14回語れる旅で孫と過ごす

―カナダはイギリス連邦の一員ですがイギリス最盛期のヴィクトリア女王の時代に独立したのですか?

海山栄:はい。ヴィクトリア女王の時代が始まったのは1837年ですがカナダの独立は1867年ですから女王即位から30年経っています。1760年頃から始まった産業革命が進み、鉄道も全国に敷設されてイギリスを中心としたヨーロッパが繁栄しました。孫が男の子の場合、ほとんどが鉄道や航空機が好きですから、カナダ、イギリスに旅した経験を語ることが好ましいです。例えば万国博覧会です。2025年には大阪で4月から半年間万博が行なわれます。

―世界最初の万国博覧会が行なわれたのもイギリスですね。

海山:蒸気機関を利用してスティーブンソンが1825年に人を乗せて試験的に蒸気機関車を走らせたのが成功しました。その結果、1830年に旅客鉄道としてマンチェスターとリヴァプール間に最初の鉄道が開通したのです。そしてほぼイギリス全土に鉄道が敷かれたので万博がロンドンで行なわれ約600万の人を集めることが出来ました。外国からも多数の人々が参加し国際的交流のきっかけにもなりました。

―博覧会はそれまでなかったのですか?

海山:フランスでは1789年にフランス革命が起こり、ゴブランつづれ織、セーブル産の陶器、カーペットなどが売れなくなり、職人の生活が貧窮に陥ったのを救うために1798年に盛大な商品市を開いて成功したのをきっかけとしてこのような産業博覧会が開かれるようになったといいます。1801年の第2回のパリ博覧会において審査員によって陳列品の評価を行い、金、銀、銅のメダルを制定して与える制度が出来ました。オリンピックはこの万博の制度を採用したのです。

―最初の万博がフランスではなくイギリスのロンドンで開かれたのはなぜですか?

海山:ヴィクトリア女王の夫君アルバート殿下の役割は大きかったと思われます。松村昌家の水晶宮物語によれば、彼は最初は国内博覧会だけを考えていたのですが紅茶セットのデザイン家として優れた腕前の持ち主であったヘンリー・コールがアルバート殿下にさまざまな国からのパヴィリオンからなる万博を提案したといいます。コールは産業デザインの開拓者として『デザインと製品」という雑誌の編集を行なっていて、クリスマス・カードの発案者でもあったといいます。1849年のパリでの博覧会には北アフリカの植民地の国々からの参加があったのを見て、フランスからの出品も勧誘しよう、ドイツ、ロシア、アメリカからもと万博の構想が膨らんだようです.アルバート殿下もドイツ人でしたから大賛成して実現しました。

―水晶宮の名前の由来は?

海山:どのような建物を建てるかということは難題でしたがパクストンという庭師あがりの建築技術者がいました。彼は大温室を建て、ヴィクトリア女王という名前の睡蓮を育てた経験を持っていました。ガラスがかっては貴重品でしたがこの頃は工業的に安価になっていて、彼の設計はこの万博の実行委員会の委員長であったあの最初の旅客鉄道を走らせたスティーブンソンも夢中になったのです。ガラス張りと鉄柱の建物構想は明るくて見栄えがよく建築の手間も省けて費用も安いという特色がありました。そしてクリスタル・パレス、すなわち水晶宮という名前になったのです。

第13回コロナウイルスの影響

―コロナウイルスによる肺炎の影響で旅行にいけませんが

海山栄:このような時は旅行したい地域や国の歴史を知ったり、小説を読んだり映画を見たりすることをお勧めします。例えばイタリア旅行を予定していた場合、塩野七生の著書などを読むとよいですね。

―よくイタリア料理のサイゼリヤに行きますが店内にあるボッチィチェッリィの「春」やダヴィンチの「受胎告知」をみてイタリアに興味を持ちました。

海山:ヨーロッパが世界の中心になったのはルネッサンスがイタリアから始まったのが一つの要因でしょう。そして花という意味のフィレンツェですね。フィレンツェの繁栄はメディチ家に関係し、芸術は保護されました。上記の「春や受胎告知」はフィレンツェのウフィッツィ美術館で見られます。ですからルネッサンスやフィレンツェ、メディチ家に関することを読むといいでしょう。

―コロナウイルスが発生した武漢は中国にあります。中国は経済などでアメリカに猛烈に追いつこうとしていますが世界の中心はアメリカです。そのアメリカはよくかつてのローマ帝国のようだといわれます。

海山:それではローマ人の物語がよいですね。

―ローマ人の物語は15巻もあり、ちょっと読むのが大変です。

海山:そのうちのユリウス・カエサルの第4巻ルビコン以前と第5巻ルビコン以降などの2巻を読み、気力が充実したら他の巻も読めばと思います。この2冊もかなりのヴォリュームがありますがさきごろ亡くなった渡部昇一と本村凌二の対談形式の「国家の盛衰」のローマ帝国の部分とイギリス、アメリカ、中国などの部分を読むとどのような国が世界の中心となるのか、すなわち覇権を握るのかがわかります。

第12回価値ある情報の集積した博物館

―博物館は語れる旅の海山流キ-ワードには入っていませんね。

海山栄:博物館はパリやロンドンなど街にあります。価値のある過去の収蔵物が博物館にはあり、冠婚葬祭の葬は死や墓を意味し過去そのものです。今ある文化や歴史は過去に活躍した人によって多くが作られています。

―具体的にいいますと

海山:われわれの生活は政治、経済、文化など亡くなった人の業績に依存しています。例えばスチーブンソンの鉄道、ライト兄弟の航空機のように発明した人は生きていません。しかし語れる旅に特に役立つ鉄道、遠くに素早くいける航空機によってわれわれは旅を楽しんでいるのです。学問も宗教も現在あるのは過去からの情報の大きな蓄積によるのです。大英博物館を見てみましょう。

―それはいつ設立され、どの位の収蔵物があるのですか? 海山:それは1759年に設立され、そこには約700万点の収蔵物があり10部門に分かれています。先史・古代ヨーロッパ部門は約250万点、版画・素描部門が約250万点でその他が200万点です

第11回語れる旅,列車の旅(2)1月26日

―海山先生は前回、語れる旅のキーワードとしてGCトラベルのモットーからとりましたね。

海山:はい。その前に語ることは重要ですが対話的に語ることをお勧めします。

―対話的に語るというのはどうゆうことですか?

海山:語れる旅とは内容豊かな旅ということです。しかし豊かだから語りすぎる、喋りすぎる可能性があります。

―話し相手がなかなか反応しない場合はどうするのですか?

海山:例えばドイツの列車の旅でライン河について話す場合、ライン河は男性名詞ですか女性名詞ですかと聞き手に質問します。答えはイエスかノーですから簡単に対話できます。父なるラインとか母なるドナウといいますから河にでもドイツ語では男女の区別があるのとか日本語との文化の相違について語ることができるでしょう。このような質問をいろいろ考えるのも楽しみの一つであると考えられます。

―それでは街と人々との交流のキーワードをお願いします。

海山:「世界の自然を愛し」のキーワードは「山川草木」でした。街は「冠婚葬祭」です。冠は元服の儀式を言いますが成人式とか若者、イギリスに旅行するとすれば、エリザベス2世の戴冠式、王室そして政治を語る。婚は結婚ですから旅先の国とか会った人の男女問題、親子、子育てについて葬は死とかお墓について、祭は音楽、芸術、オリンピック、万博など。世界の人々との交流は「衣食住、言語」ですから衣はファション、食はグルメ、お酒、住は建築、寺院とか教会、言語は旅において、外国で使った言葉などを話せばいいでしょう。もしも特にこれ以外のテーマがあればどれかにか付け加えればよいと思います。

第10回語れる旅、列車の旅(1)

―海山先生は列車の旅を語れる旅の大きな要素にしていますね。

海山栄:明治維新前後からヨーロッパに日本人は行くようになったのですが船旅でした。漱石、鴎外、藤村など。日本が満州に進出するようになり、シベリヤ鉄道が開通して林芙美子はこれを利用しました。横光利一は往きは船旅で帰りはシベリア鉄道でした。今はヨーロッパに行くにはほとんど航空機です。

―語れる旅とはどんな旅ですか?

海山:航空機は速さという点では非常に優れています。しかし景色が離着陸のときしか見られません。徒歩は日本からでは時間がかかりすぎます。だから航空機でヨーロッパに行って着いてから列車を利用するのが語れる旅には最適でしょう。

―旅ではたくさんの事物に触れ、いろいろな人に出会います。情報が多くてうまく語れるでしょうか?上手に整理できて、楽しく語れる良い方法がありますか?

海山:それでは海山流の秘訣をお知らせしましょう?語れるためにはGCトラベルのモットーを利用するのが賢明です。そのモットーは[世界の自然を愛し、街を愛し、世界の人々と交流する」です。自然では「山川草木」を街では[冠婚葬祭」を人々との交流では[衣食住と言語」をキーワードとしましょう。

―キーワードーの一つ自然の「山川草木」とは何ですか?

海山:自然を愛しでは「山川草木」を想いだします。山なら列車でリヨンを通るとモンブランが見えます。モンブランについて語る。また鉱山とか鉱物などの資源も山のキーワードに含めましょう。川は日本では河川はすべて日本の国内を流れています。しかしヨーロッパでは二つ以上の国を流れている川がたくさんあります。ロシアを除いてヨーロッパの2大河川といえばライン河とかドナウ河です。二つの大河はスイスを源流としています。ドイツならローレライで有名なライン河ですがケルン、ボン、コブレンツなどを通る特急のインターシティ(IC)を利用すれば車窓からライン河が眺められます。ライン川はスイス、リヒテンシャタイン、フランス、ドイツを通り、最後にオランダのロッテルダムで北海に注ぎます。川というキーワードには水に関連することを含めましょう。北海や大西洋は海ですから川のキーワードです。草はハーブとか花,水仙、チューリップ、グラジオラス、マロニエの花、木は白樺、プラタナス、樫、菩提樹、マロニエです。街のキーワードの「冠婚葬祭」、人々との交流は「衣食住と言語」ですがそれは次回にします

第9回ワルシャワに住んだ3人の天才

―第2次世界大戦はドイツのポーランド攻撃から始まりましたね?

海山栄:そうです。ポーランドは強国に囲まれ、何度も不幸な目にあいました。その首都にワルシャワに住んだ有名な3人についてお話しましょう。一人は音楽家でピアノの詩人といわれ夜想曲やワルツを作曲したフレデリック・ショパンです。彼はワルシャワの近郊のジェラソヴァ・ヴォラに1810年に生まれ現在ワルシャワ大学の建物のある場所に住みました。女性で初めてノーベル物理学賞と化学賞の二つを受賞したマリア・スクウォドフスカ=キューリーは1867年市内で生まれました。最後の一人は世界共通語エスペラントの創始者ルドヴィーコ・ザメンホフです。

ショパンは21歳、とキューリー夫人は24歳のとき活躍の舞台を求めてパリに移住しました。ザメンホフは1859年北の都市ビアリストックに生まれましたが14歳のときワルシャワに移住し亡くなるまでワルシャワに住みました。 ―ショパン・コンクールはどうして始まったのですか?

海山栄:このコンクールは1927年ショパン高等音楽院教授イェジ・ジュラヴレフによって創設されました。彼はサッカーに熱狂している若者を見てスポーツのようにピアノに熱狂するピアニストを育てることを願ってショパン・コンクール始めたといわれています。5年に一度行われ2015年に第17回コンクールが行われました。応募者が多いため予備選で合格した人が本選に出場します。日本からは1965年の第7回コンクールに中村紘子が第4位で、1980年に第10回では海老彰子が5位で入賞しています。

―キューリー夫人がワルシャワにいたときにはポーランドは独立していましたか?

海山栄:いいえ、ポーランドは1918年に再独立しましたが、キューリー夫人は1891年までワルシャワにいました。当時はロシア帝政下でした。彼女はフランス人のピエール・キューリーと結婚したので日本ではキューリー夫人として有名です。祖国のことは忘れず初めて発見した新元素にポーランドの名前にちなんだポロニウムと名づけました。

―ルドヴィーコ・ザメンホフはユダヤ系ですか?

海山栄:はい。第2次世界大戦はドイツがポーランドを攻撃することで始まりました。ナチスはザメンホフ家のそばにゲットーを作りユダヤ人を集めました。ザメンホフ通りがありゲットーのユダヤ人が蜂起した英雄記念碑が建っています。またヨーロッパ最大のユダヤ人墓地があります。北のアウシュヴィッツであるトレブリンカで孤児たちと一緒に亡くなったコルチャック先生やザメンホフもそこで眠っています。アインシュタイン、マルクス、フロイド、チョムスキーなどのユダヤ人は人類に大きな影響を与えました。

第8回イタリアの魅力

―イタリア旅行の希望者が多いのですが何が引きつけるのでしょうか?

海山栄:近代を切りひらいたのはヨーロッパですがそれはイタリアでルネッサンスが始まったからです。ルネッサンスは再生という意味ですがそれは中世の「キリスト教だけを中心とした生き方」からギリシャやローマの時代の精神に帰ろうという文化的な運動です。 人間性を解放し、合理主義に従うという時代的な風潮です。その基礎は貿易や金融業で商人たちが活躍し、都市における経済的繁栄です。フィレンツェ、ヴェネツィアが代表的です。

―ルネッサンスといえば当時の絵画ですね?

海山栄:絵画だけではなく、彫刻、建築、文学、工芸、デザインなどが重要ですが絵画は強い印象をあたえます。その代表はフィレンツェです。ここで15世紀の中ごろから政治を支配したメディチ家が政治を支配し、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが活躍しました。有名なヴァザーリの設計のウッフィツィ美術館にはボッチィチェッリの「春やヴィーナスの誕生」、ミケランジェロの「聖家族」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」等があります。「神曲」を書いたダンテはラテン語ではなくイタリア語を重んじましたが英独仏でも自国語を重んじるようになった先駆けです。

―ルネッサンス人はローマ帝国をどのように考えましたか?

海山栄:イタリアにはローマ帝国の遺跡がいたるところにあります。ローマがローマ帝国の首都だったのでダンテをはじめルネッサンス人は自分達の先祖としてローマ帝国を追憶し、賛嘆しました。ですからコロセウム、カラカラ大浴場跡、パンテオンなどローマの遺跡をみてヨーロッパ人がローマを心の故里としていることが理解できます。例えば、憧れのイタリアについてゲーテは「イタリア紀行」を書きましたし、アンデルセンは「即興詩人」(鴎外の訳)を著しました。

―キリスト教はローマ時代に広がったのですね?

海山栄:ローマ市にはカトリック教会の総本山バチカン市国があります。キリスト教はローマ皇帝ネロがしたように迫害されましたがコンスタンティヌス帝は公認し、テオドシウス帝は392年にローマの国教にします。キリスト教はヨーロッパに広がっていきます。バチカンにはシスティーナ礼拝堂にミケランジェロの「天地創造」や「最後の審判」、ラファエッロの「アテネの学堂」はバチカンの署名の間にあります。

第7回、旅とヒット商品

―バスチーというローソンのヒット商品は旅から生まれたのですか?

海山栄:多分、そうでしょう。バスチーというのはバスク風チーズケーキという意味と考えられますが10年に1度のヒット商品といわれています。このオリジナルスイーツはローソンの業績に大きく貢献しています。今年3月から発売され2千数百万個売れたようです。

―バスクという国はあるのですか?

海山栄:バスクという国はありませんがバスク語を話すバスク人はスペインとフランスに跨って住んでいます。サン・セバスティアンは美食の町として知られています。スペインでのミシュランの3つ星レストラン8軒のうち4軒がサン・セバスティアンとその周辺にあります。

―ベレー帽はバスク地方の象徴ですね。

海山栄:そうです。フランスの画家といったイメージです。バスク地方に広くかぶられていてナポレオン3世がバスク地方を訪れたときバスク・ベレーといったのでこれが世界に広まったという。日本に最初に訪れた西洋人ががキリスト教を普及しようとやってきたポルトガル人ですがその中の中心人物フランシスコ・ザビエルはバスク人です。

第6回 エスペラントでの次のステップと大学や討論レベル

―エスペラントが容易ならば、どのように初級の次のステップを展望することができますか?

海山栄:世界エスペラント大会は今年7月20日からフィンランドで開かれましたが、簡単なことが喋れるようになると中級の会話のクラスがあります。次の講演を思い切って聴くのもよいとおもいます。「ビールと健康」とか「人はタバコになぜ依存するか」、「フィンランドの自然」これら、ビール、タバコ、自然は内容が推測できるのでよいでしょう。

―内容が大体わかっていると理解が容易になりますが、以上の講演などの概要がわかりますか?

海山栄:参加者は大会案内という小冊子(2019年度112ページ)を受け取ります。「ビールと健康」の例ではH.Schickeという「ドイツのビールと文化」という著書があるドイツ人が他の飲み物に比べビールの健康に良い点の概要を述べている。すなわちビールの色、泡、味わい、香りなどの点や健康に良いビールの材料はとは何かなど。

その他、大会期間中、いつ、どこで、何が行われるか、人物の紹介、参加者の名簿やe-メールなどのたくさんの情報がかかれています。

―上級レベルでは何が可能ですか?

海山栄:大会大学という大学や大学院レベルの講義を聴くことができます。また大会のテーマがあり討論に参加できます。今年は「生き生きとした自然、花咲く文化」というテーマです。科学の発展とグローバル化は著しいが、自然破壊の問題、少数言語が滅んでいく問題等について議論が行われました。このようなレベルになれば大学や大学院での論文の資料が得られます。

第5回やさしい言葉、エスペラントの話す機会

――定年退職後の言葉としてエスペラントの世界大会を紹介されましたがその魅力は?

海山栄:エスペラントは1年間の学習で世界大会に参加できます。言葉がやさしいからです。大会では講演、大会大学、遠足、儀式、コーラス、演劇、コーラスなどすべて通訳なしで行います。これが50以上の異なる言語の出身者が平均2000名参加して行われます。 ――初心者が参加できるプログラムは何ですか?

海山栄:あまり知られていない驚異的な言葉、エスペラントは外国人との交流に最適です。初心者のためにエスペラントが上手に喋ることができるようなクラスがあります。大学や大学院で言語教育を受けた一流の講師が教えます。半日観光や1日観光が市内や郊外場合によっては国外にまで足を伸ばす観光プログラムがたくさんあります。ほとんどバスで隣は外国人ですから自由に喋れるし、複数の国に友達を作るのが簡単にできます。コーラスやコンサート、フランスの夕べ、ポルトガルの夕べなど開催国のプロの演技者による歌、踊りの披露や晩餐会、ダンスパーティーもあります。

――孫も連れて行けますか?

海山栄:十分可能です。10歳、すなわち小学校4年生ごろに日本語の能力が確立しますから元気な子供でしたら子供大会がお勧めです。子供大会のプログラムは世界エスペラント大会とは別に組まれています。

第4回 旅と言葉 

――現地の人と話したいですがもう65歳ですからドイツ語を始めるのは大変です。

海山栄:私は定年退職後に現地の人とコミュニケーションしたいのならエスペラント語をお勧めします。桜美林大学名誉教授の大庭篤夫氏が考案したオオバ・メトードで学習すれば1年間で外国人と会話ができます。英語の5文型を知っているという条件ですがそれは中学で学習した知識で驚くべき速さで会話できます。

――どうしてそれが可能ですか?

海山栄:文法は例外がありませんし、母音は5つですので日本語に近いです。私はエスペラントをマスターしてから英語も話せるようになる人も大勢います。ヨーロッパに多くのエスペランティスト(エスペラント語を話す人)がいますが近頃アジアでも普及してきました。エスペラント語ができればドイツでもフランスでもイタリアでもポーランドでも友達ができます。

――話す機会がありますか?

海山栄:世界エスペラント大会がお勧めです。昨年はポルトガルのリスボン、今年はフィンランドのヘルシンキ近くのラファティー、来年はカナダのモントリオールで行われます。 新しい楽しみ方、魅力は次回お話しします。

第3回 

――旅は健康長寿によいですか。

海山栄:もちろん、よいです。定年退職は時間ができますから人生で1番よい時期になります。あたかもフランス貴族のようです。しかし人によっては社会とのつながりを失ったり、生きる目的がなくなるというリスクがあります。ですから旅が健康長寿につながることが望ましいです。 ――旅の効用を生かすにはどうすれば良いですか。

海山栄:最初の例はグリム童話に関係した訪問先でした。幼年期、青年期で印象の強い場所に関連して3つぐらいテーマを見つけると良いでしょう。

(1) ゲッティンゲン、ハーナウ、カッセルなど
 ゲッティンゲンは小さな大学町です。ヤーコブはこの大学の教授でした。ここで学んだ人にはノーベル賞受賞者45人、他にビスマルク、ハイネ、日本の仁科芳雄などがいます。政治に関心のある人、ビスマルク文学が好きな人はハイネ、物理学ならハイゼンベルク記憶にとどめると良いでしょう。ちなみに、ビスマルクはプロイセンの首相を務め、いくつもの国に分かれていたドイツを統一しました。ハイネはドイツの代表的詩人でデュセルドルフで生まれ、ローレライなどの詩があります。

(2) グリム兄弟
  兄のヤコブ・グリムは1765年に生まれ、弟のヴィルヘルム・グリムはその翌年生まれています。ドイツの近代化で昔からの伝説は失われるのを恐れ、言い伝えを集めて編集したのがグリム童話です。桐生操の本当は恐ろしいグリム童話などを読むのもよいでしょう。ドイツ語辞典を16巻に着手し、それは死後完成しました。

(3) ナポレオン戦争
  1806年イエナでプロイセン軍がナポレオン軍に破れドイツの人々は屈辱の日々を送り始めます。この年ゲーテのファウスト第1部が完成し、グリムの童話が集め始められます。ドイツ意識が高まり、グリム兄弟もドイツ精神の真髄として童話の収集を考え、これを守るという意識で努力しました。ドイツ民族主義の強い流れであり、その流れの結果がビスマルクによるドイツの統一となります。

――テーマを選ぶのはなぜですか

海山栄:定年退職後の話題には旅の経験は効果的です。赤頭巾ちゃんが強い印象ならその童話が生まれた背景を①ゲッティンゲン、ハーナウという場所やゲッティンゲン大学の出身者、②グリム兄弟の生い立ちや学者としての業績、③ナポレオン戦争とナショナリズムという3つのテーマを話題として話すと良いでしょう。

――旅の前後に何をしたらよいでしょうか

海山栄:写真などをとると帰国後記憶が強くなります。ノートに3つのテーマ別に自分が話したい事項を書き込み,またそれを眺め後からテレビや本で追加の情報をプラスするなどすればすばらしいです。年をとると同じことを繰り返し、話題がつまらなくなることもなくなります。生き生きと健康長寿になるでしょう。

第2回 定年退職後のたびと人生

――なぜ幼年時代、青春時代に読んだ本、あるいは映画で見た印象の強い場所を旅の目的地に選ぶのですか。 海山:65歳で定年となり85歳まで生きるとします。20年という長い月日です。人生100年時代とも言われていますからもっと長く生きるかもしれません。私が想定しているのは夫と妻がともに元気に夫の定年を迎えた場合です。妻との穏やかな長い年月を楽しく過ごすためには妻の印象深い国などを考慮しなければなりません。

――第2回目は妻の10代、20代まで経験した読書などに関連した思い出深い場所を訪ねることですね。 海山:それが1番よいです。しかし予算なども考えて妻がシューベルトの歌曲が好きとすれば、ゲッティンゲンやカッセルを訪れた後にウィーンにいって帰るのも一つの方法ですね。シューベルトは天才でわずか31歳でなくなりました。彼はシラーなどの詩に曲をつけ、これが歌曲です。文学と音楽を融合させる先駆的役割を果たしました。

――なぜ幼少期や青春時代の印象を大事にするのですか。 海山:記憶には短期記憶と長期記憶があります。脳の中の海馬という部分があり、ここで記憶されます。長期記憶は大脳皮質のある部分に移されて定着します。だから人生の初めの頃の記憶は絶対忘れない記憶です。この貴重な財産を守り、関連した事項を旅やそのほかの手段で補強することは人生を豊かにします。

第1回は定年退職者のための旅行先選定のヒントです。

――今のわれわれの生活はヨーロッパから大きな影響を受けているといわれす。

しかしヨーロッパのどこに行っていいかわかりません。 海山:我々は小学校、中学校、高校、大学と過ごしてきていますが子供のとき読んだ本,青春時代に読んだ本、見た映画やテレヴィ、聞いた音楽があります。それらの中で1番印象に残る本などの舞台となる場所を訪ねるとよいと思います。

――具体例をあげてください。

海山栄先生:例えば子供のときグリム童話を読んだとします。ヘンゼルとグレーテル、赤頭巾、 ちゃん、ブレーメンの音楽隊、裸の王様など。グリム童話は誰が書いてドイツのどこが背景でしょうか。

――また時代背景も知りたいですね。

海山:グリム童話の作者はグリム兄弟でドイツのヘッセン国ハーナウで生まれました。二人は年子で兄のヤーコブは1785年、ヴィルヘルムは翌年の生まれです。ですからハーナウとゲッティンゲン行くことをお勧めします。ハーナウはメルヘン街道の出発地です。終点ブレーメンはグリム童話「ブレーメンの音楽隊」で有名です。この街道は約600キロあります。

――ゲッティンゲンを推薦するのはなぜですか。

海山:グリム兄弟がゲッティンゲン大学の教授をしていた1837年に大学の自治問題で辞職に追いこまれました。またこの大学の出身者のノーベル賞受賞者は45人もいます。医学者コッホ、詩人のハイネ、哲学者のショーペンハウアー、政治家ではビスマルクやシュレーダーなどが同校出身です。オックウフォード、ケンブリッジ、ハーバードと同じくらい良い大学ですが日本ではそれほど知名度がないのでこの大学を知ることはちょっと誇れるでしょう。

――どのようにグリム童話は編集されましたか。

海山栄先生:1800年代の初めごろからグリム兄弟はヘッセン国(首都カッセル)を中心とした故郷近くに伝わる民話や昔話を集め始めました。だんだん古い昔話を覚えている人が少なくなってきました。だから6年かけてつとめて口伝えにしたがって集めたのです。

――その当時、ヘッセン国はフランスの支配下でしたね。

海山:1806年にプロイセン軍がナポレオン軍に破れ、1807年にはヘッセン国はヴェストファーレン国に合併されナポレオンの弟ジェロームが国王となりました。首都はカッセルでそこにグリム一家は移住していました。そして兄のヤーコブはジェローム王直属の文庫の管理の仕事をゆだねられました。初版の第1巻は1812年に出版されましたが「子どもと家庭の童話」と言う題がついていて子供のためのお話と思われますが意外なことにドイツ民族の伝統的な宝を発掘し、考証し、昔話のなかに脈打っているドイツ民族の心をよみがえらせ、元気づけるという使命感を持っていたのです。

 

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